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ハリウッドでは映画化も実現!国内外に熱いファンも持つ「忠犬ハチ公」

渋谷駅の待ち合わせスポットとしても有名な「忠犬ハチ公」。日本人なら誰でも知ってるに違いありません。実は「忠犬ハチ公」は海外でも大人気なんです。2009年にはハリウッドで映画化も実現されています。

なぜ、「忠犬ハチ公」は国内外の人々の注目を集める存在となったのでしょうか。今回は、そんな「忠犬ハチ公」にまつわるエピソードや飼い主との関係性、亡くなったあとに建てられた碑やお墓についてお話したいと思います。

 

 

「忠犬ハチ公」の物語をご紹介

名前の通り「忠犬ハチ公」とは日本の忠犬です。飼い主の死後も約10年にわたって、東京の渋谷駅まで飼い主の帰りを出迎えに通い続けた犬です。親しみも込めて「ハチ公」とも呼称されています。

「忠犬ハチ公」は秋田犬のオスで、正式にはハチという名前で呼ばれていました。ハチは1923年11月に秋田県で、八頭の兄弟で生まれ、その後、東京の上野で東京帝国大学で教授を務める上野英三郎さんと出会うことになります。上野英三郎さんは愛犬家で、当時はハチと一緒に渋谷へ出かけることも多かったそうです。ですが、ハチと出会ってから翌年、上野英三郎さんは急死してしまいます。

上野英三郎さんの死後、渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿が「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった由来となります。飼い主の帰りを待ち続けるハチの姿は新聞でも報じられ、人々に感銘を与えたとされています。

上野英三郎さんが亡くなってから約10年後の1935年、ハチは11歳という生涯を閉じることになります。ハチの死後は、告別式が行われ、多くの人がハチとの別れを悲しみました。

 

「忠犬ハチ公」の銅像はひとつだけじゃなかった

ハチの死は人々に大きな影響を与えました。そのひとつが渋谷駅前に設置されたハチの銅像は、1934年に彫刻家の安藤照さんの手によって、ハチが生前に作られたものです。実は、ハチの銅像が設置されているのは、渋谷駅だけではありません。ハチと上野英三郎さんゆかりの地にも銅像が設置されています。

 

ハチの故郷、秋田県にも銅像が存在している

ハチの出身地でもある秋田県の大館駅前にもハチの銅像が設置されています。大館駅前の他にも、秋田県では複数のハチの銅像を見ることができます。例えば、日本国内で唯一の犬博物館「秋田犬博物室」の前にもハチの銅像が設置されています。その他にも、ハチが生まれた大館市大子内にある斎藤家の付近にも別のハチの銅像があります。

ハチは今、大好きだった上野英三郎さんと眠っている?

東京、そして秋田にハチの銅像が複数設置されていることがわかりましました。実は銅像以外にも、ハチが存在したことを後世に伝えるための碑が東京にあります。碑があるのは、都立青山霊園です。通路に植えられた並木のそばにハチの碑が建てられています。そしてその横にはお墓があります。

実はこのお墓は、飼い主だった上野英三郎さんのお墓があります。その横にハチの碑が建てられているんです。見る人によってはハチと上野英三郎さんが一緒に眠っているようにも見受けられます。まだ足を運んだことのない人はぜひ訪れていただきたいです。

 

「忠犬ハチ公」についてまとめ

いかがでしたでしょうか。今回は、「忠犬ハチ公」について紹介しました。ハチが抱く上野英三郎さんへの深い愛情は、日本だけでなく、海外からも関心を抱かれる理由がよく理解することができたと思います。

今後もハチの存在は、世代を超えて語り継がれることになると思います。もし、友人や恋人、ご家族の方がハチのことについて質問されることがあったら、ぜひ、このコラムに書かせていただいた内容をお役立ていただけると幸いです。

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